株式会社丸山運送|Maruyama the 080
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物流コラムVol.44 「通関業の夜明け(上)」

前回は経済連携協定の変遷について振り返ってみましたが、我々が日々行っている通関業の歴史について振り返ってみたいと思います。

200年に渡り鎖国を行っていた日本に対し、開国を求めペリーが1853年に浦賀に来航し、

いわゆる不平等条約である日米修好通商条約の締結によって開港が行われました。そして函館・横浜・長崎・大阪・神戸・新潟に次々と税関の前身である運上所が設置され、その後1872年に各地の運上所が「税関」と呼称統一されました。

当時の貿易は輸出入者間で行うものではなく、居留地と呼ばれる政府が認めた外国人用の交易地区で行われ、外国商館に対し売り買いをする仕組みで、仕入書の添付もほとんどなかったことから、正しい申告が行われず関税収入は本来の価額に比べ著しく低かったと言われております。日本からは生糸や茶などの半製品が輸出され、海外からは主にイギリスの綿織物や毛織物など完製品が輸入されました。有名な神戸の旧居留地もこの跡地です。

このような不利な貿易関係を挽回すべく、邦人貿易業者の代行を行う為に、日本で初めて通関業を専門に行う会社として横浜に1871年「開通社」の前身である会社が官命を受け大蔵省で税関貨物の取扱事務を行っていた服部敢によって創立されました。その後1877年に「開通社」が設立され、通関業務や船積み業務の代行を行い国内貿易業の発展に大きく寄与しました。

1891年に「開通合同会社」に社名を変更、その後1923年の関東大震災で建物の大部分が倒壊してしまいましたが、その一部が震災後の復興建築物の内部に残されていました。2014年の建物解体時に発掘された遺構は、通関業が開始された当時の貴重な歴史的遺産として現地に保存されており、誰でも見学する事が出来ます。150年前と比べ比較にならない程効率的に通関業務を行えている中でも、日々忙しく業務に従事されている方々は、日本で初めての通関専門会社の遺構の前で、改めて初心に返る為にも通関業の歴史と偉大なる先人に想いを馳せる時間も必要かも知れません。

国際物流本部 甲斐愛一朗

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