株式会社丸山運送|Maruyama the 080
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物流コラム Vol.8:物流-これから先に何があっても

先日、グーグル研究所が量子コンピューターを稼働させたニュースがあった。

現在のスパコンで1万年かかる計算が200秒で終えるらしい。

0と1のコンピューター言語を重ねるとそうなるらしいが、凡人には、ふーん?である

愛車はセンサーとコンピューターの塊で、高速道路は自動運転だ。

数年後には欧州ではエンジン付き乗用車が販売禁止になり電動自動車になるらしい。

日本でもオートバイも電動になるらしい。大騒音の暴走族が壊滅するのは嬉しい。

馬力が大きいトラックはそうならないだろうと思っていたが、トラックもなるらしい。しかも公道で無人走行なるテストもしていると聞く。ジェット旅客機の燃料は、ケロシンから水素やバイオ燃料、貨物船はそれに太陽光発電ときている。脱炭素の動きも早い。

小学生時代に読んだ少年画報なる雑誌に、あと40年したら石油枯欠で石器時代に戻るようなことが書いてあり、ショックを受けたものだ。幸いにもガソリンレギュラー価格はリッター140円台で、まだ石油は枯れていないが、温暖化は進んでいる

1970年3月に大阪万博が開催され、その4月に社会人となった。

以後50余年も国際物流に関わっている。多摩川は汚れ、川崎の工業団地は空気汚染で赤茶け、川崎病もあったが、高度成長期の真っただ中で誰もあまり気にはしていなかった。

太田区の町工場も元気で航空輸出が好調だった。東証一部上場に育った会社もあった。

毎日夕方集荷、時には親父さんに酒も馳走になった。羽田の貨物地区は貨物が溢れ、気の荒いトラック野郎と、早く積め、早く下ろせの喧騒が懐かしい。

でも貨物地区は汚かった、羽田転勤が左遷の時代だった。

航空機も大きくなりダグラスからボーイングに移る時期だった。当時は、航続距離が短かった為、欧米向けはアンカレッジ経由で給油して飛び立った。トラックもあった。飛行機もあった。船もあった。日本の船会社も元気だった。誰もまだまだ伸びる事を考えていた時代だった。 1978年成田空港開港、それから43年が経ち2021年二度目の東京オリンピック開催、国立競技場の夜空にドローンが地球を描いた、開催に賛否があるものの、あのシーンは技術に賞賛し感動すら覚える。

無人トラック・水素燃料・ドローン輸送、まさかと思っている事が現実になって行く。

デジタルファワーダーが出て来た。大手同業者が数十億円も費やして構築したシステムを嘲笑うかのようなシステムで顧客のニーズを掴んでいる。

これからも物流にかかる考えられる技術は、進歩してゆくだろう。

しかし、人が人(ロボット)に物の輸送を依頼する行為と物を届ける感動がある限り、

物流は無くならない。

 

寺山

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